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高校時代の思い出が詰まった加古川線。
地域のためにも、走り続けてほしい。New Balance所属 プロアスリート田中 希実さん(たなか のぞみ)
兵庫県小野市出身で、いま最も注目を集めている日本人アスリートのひとり、陸上女子1000m・1500m・1マイル・3000m・5000mの日本記録保持者である田中希実選手。西脇工業高校時代は、通学のため加古川線を利用していたとか。2023年4月にプロへ転向し、国内外でのレースや合宿で忙しい日々を送る田中選手に、加古川線の思い出や地域への想いなどをお伺いしました。
レースがないときは、ご実家で過ごされているのですか?
田中さん:そうですね。ヨーロッパなど長く海外遠征に出かけることも多くありますが、戻ってこられるときは月に2回くらい実家に帰っていますね。ただ、遠征や合宿の間に帰ることが多いので、実家でも準備とかでバタバタしちゃいます。できればゆっくりしたいんですけど、遠征に必要なものが見つからないとか、そんなことで親とけんかしちゃったり(笑)。
高校時代は加古川線を利用していましたか?
田中さん:はい、加古川線で通学していました。ほぼ毎日使っていましたね。
当時、朝7時台の電車に乗って通学していたんですけど、同級生でも通学に利用していた人が多くて、なかなか混んでいました。朝は基本的に座れなくて、座れたらほんとにラッキーって感じ。部活と勉強で毎朝眠くて、座れないときは床にカバンを置いてその上に座って寝たりなんかもしていました(笑)。もうとにかく、少しでも睡眠時間を確保したいって感じでしたね。帰りは本を読むことが多かったです。ただ、部活で疲れているといつの間にか寝ちゃって何駅か寝過ごすこともあって。そういうときは、親に迎えに来てもらっていました。
通学のほかにも、日本へそ公園で行われるマラソン大会に出場するために日本へそ公園駅まで行ったり、休日に加古川や神戸まで出かけたりするのに加古川線を使っていましたね。
加古川線の忘れられない思い出は?
田中さん:高3のときに、陸上部の同級生と加古川線沿いを走って家まで帰ったことがあったんですけど、それが忘れられない思い出です。学校から家まで20kmほどあるので、帰れるのかちょっと不安だったんですけど、帰ることができて良い思い出になりました。練習でもそんなに長い距離走ったことなくて、一気に20kmなんて初めてだったんですよ。
いまも帰ってきたら加古川線に乗りますか?
田中さん:うーん、めっきり減りましたね。ただ、妹だったり母だったり、家族の誰かしらは使っているって感じです。私の応援に来てくれるときも、加古川線を使っているみたいですし。私自身は免許を持っていないので、帰ってきたときは父に車で送り迎えしてもらうことが多いですね。だからもし自分ひとりで移動するなら、加古川線を使うことになります。やっぱり加古川まで出ないと、どこにも行けない地域ですから。
存続が危ぶまれているという話もありますが?
田中さん:そうですね、あるのが当たり前の存在なのでなくなったらすごく寂しいですね。ぽっかりと、思い出が抜け落ちてしまうというか。気持ちの面でもそうですけど、やっぱり利便性の面でも困るなっていうのが正直な気持ちですね。ここら辺の人にとっては生活に欠かせない、頼りにしている交通手段なので。
それと、街自体のPRポイントが減っちゃう心配もあるかな、と思っています。駅の建物に入っている人気の飲食店が無くなるとか、駅から近い温泉施設が利用しにくくなっちゃうんじゃないか、とか。
気持ちの面だけじゃなくて、利便性や観光の側面から考えても、やっぱり残してほしいなと思います。
加古川線の魅力はどんなところですか?
田中さん:一番はローカルな雰囲気ですかね。なんというか、ノスタルジックな感じというか。全然違う土地の人でも、なんだか懐かしさを感じるような親しみやすさが魅力ですね。遠征などで海外に行くと、たまにホームシック気味になるんですけど。そのときに、たまたまその土地のローカル線が緑色だったりすると、加古川線に似てる!と嬉しくなったりします。
最近は、小野市や西脇市にも古民家カフェや、田舎の良さがあるお店もたくさんできているので、電車に乗ってふらっと遊びに来てもらえたら嬉しいですね。陸上で忙しくなければ、私もそんなふうに加古川線を使いたいんですけどね(笑)。
当時のことを思い出しながら、終始楽しそうに加古川線について語ってくださった田中さん。走るたびに自らを更新し、たくさんの人をワクワクさせるその姿の原点は加古川線にありました。世界をめざして走りつづける田中さんのように、加古川線も新しいステージへと走りつづけてほしいと願うばかりです。